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 ここで僕に与えられたのは「民族性と美術」というテーマです。しかし、これは大きすぎるテーマであり、短時間で語りうるとは思いません。そこで、きょうはこのテーマをめぐって僕がこれまで考えてきたことのうちの一つ、「物質性と精神性」ということについて概略的に話すにとどめることにします。僕は主に現代美術をずっと見てきた批評家です。韓国の現代美術についても1970年代後半から関心をもって見てきました。そういう一人の批評家として、自分の体験に即して、沿って、話してみたいと思ってます。

 僕がはじめて韓国に行ったのは1981年のことで、もう20年も前のことになります。その頃の日本における韓国現代美術の紹介は、たとえば東京画廊や村松画廊のような商業画廊によるごく限られたものでした。もっとも、情報そのもの、その絶対量そのまのがまだ乏しかった時代ですから、韓国現代美術の全容について日本ではまだ誰もよくは知らなかった、というのが本当のところだったと思います。僕自身も、招来される、主として「モダニズム派」とか「モノクローム派」と韓国で呼ばれた傾向のものを見ることから始めたのでした。 この傾向(日本に紹介されたその主な作家は朴栖甫、尹亨根、河鍾賢、丁昌燮、尹明老、崔明永、沈文燮らですが)の作品を見ての最初の僕の印象は、これは僕だけの印象ではなかったわけですが、きわめて「物質的」だというものでした。平面作品なのだけれど、何かを再現的に描いている絵ではない。つまり抽象、ないしは非対象的絵画なのだが、西欧のそれのように色彩とか構成とか空間性といったものを核にしている表現でもない。かといって、戦後のアメリカ美術がもっている物質性とも、どうもちがう。アメリカ美術の物質性は、たとえばミニマル・アートなどの作品を見るとわかりますが、一口でいうと、西欧の絵画概念を前提にしての物質性です。つまりそういう枠組みを前提にして、そのうえでなかみをどう変化させるか、結局はそういうものであったと思うのです。
 それにたいして韓国の「モノクローム派」の場合は、キャンバスに当たるもの(これを「支持体」といいます)、その上に塗られる絵の具ないしそれに当たるもの、そのどちらもいわば「物質」そのものであり、その結果、作品は「絵画」という感じではない何かになっているのです。
 たとえば丁昌燮です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 画像にマウスをあわせると画肌がクローズアップされます

 

彼の場合、用いている材料は楮、紙の原料になる楮です。ただ、彼の楮は支持体になっているのではなく、それじたいが画布(布)上に貼られて作品面となっているのです。また河鍾賢の場合は、顔料を布の裏側からこちら側に押し出していて、そのブツブツのものが作品面を成しています。

 

   

 

どちらの場合も、そこから伝わってくるのは、この特異な物質性が、西欧的な絵画とはちがう作品をもたらしているという感触なのです。1981年以前には僕は日本でそういう作品群を見ていたわけです。そして1981年に機会があり、はじめて韓国に行きました。このときはソウルとその郊外だけで、それも現代美術を見ただけでした。国立現代美術館、寛勲洞界隈の画廊を見、何人かの作家のアトリエを訪れました。はじめて現地で、はじめてまとまった数の作品をじっさいにみたのです。これは僕にとって大きな経験となりました。ひとつは、すでに日本で感じていた「物質性」をあらためて確認したということがあります。そして僕は、じっさいに見たソウルの街、そこに生きる人々の姿などを、その「物質性」ということに、おのずから重ね合わせていた、そう思うのです。当時の韓国は、セマウル運動開始から10年、経済復興のただなかにあり、しかし前年に光州事件があったばかりで、民主化はその緒についてばかりのところでした。ソウルの街のゴチャゴチャした肌触りは、敗戦後の日本の焼け跡・闇市の時代を彷彿させて余りあるもので、いろいろなものがいってみればむきだしの状態で地肌を見せている、そんな様子であったように見えたのです。ものがその地肌を直接的に見せているー物質性とはそういうことでもあります。

 しかし僕は、もうひとつのことを感じました。それは、非常に物質的に見える作品なのに、そこには、ある種の「精神性」(という語が適切かどうかわからないのですが)のようなものが同時に存在している、ということでした。作家たちが美術に向かう姿勢、制作にたいする姿勢に、強い精神性(儒教に由来する精神性かもしれません)がある、ということもありました。でも、それだけではなかった。結果としての作品そのものが、なにかとても、言い難いまでに精神的だと感じたのです。ソウルという街の姿にも、外面はゴチャゴチャしていても、そこに人が生きていることじたいから生れる「こころ」の確かさとでもいうべきものが、筋金みたいに通っているようでした。
このときは、したがって、それまで物質的と見えていたものが、じつは同時にいわば精神的でもあるという驚きを、僕はソウルから持ち帰ったのでした。それからしばらくは韓国を再訪する機会がなく、僕はまた日本で、日本に紹介される作品群を見ながら、そのことを考えつづけていったのです。

 いうまでもないでしょうが、その間、韓国の作家や批評家がそのことについてどう考えているのかを、韓国語が読めないなかで、知ろうと努めました。僕が理解したことをごく簡単に要約すると、作家たち自身は、やはり、西欧の絵画とは異なるものとして作品を制作していること、それが生み出している作品世界は物質性と精神性とが二つの別のものではなく一つになっているものだということ、でした。また批評家も、たとえばその代表は李逸ですが、それを韓国固有の作品空間とみなし、そこにあるのは原初的な自然の世界への回帰にほかならないというように考えたようでした。もちろんその対極には、「モノクローム派」は歴史的また社会的な現実を顧慮しない形式主義ない唯美主義に過ぎないという批判も存在しつづけました。

 この社会派、もっと正確には「民衆美術」派からの批判に関しては、きょうは触れないことにしますが、そうやって韓国の作家自身や批評家がどう考えているのかを学びながら、僕が自分で感じた物質性のなかみをもうすこし突っ込んで考えようとしていたわけです。

 そして、1988年のソウル・オリンピック以降は、僕はかなり頻繁に韓国に出掛けるようになりました。そうやって頻繁に行くようになって、僕はだいたい歩みがのろいのですが、やっとというか、わかってきたことがあります。それは、韓国の作品は、韓国で見ると、ちゃんと物質性と精神性とを合わせもつものとして見える、ということです。しかしそれを日本で見ると、その物質性の側面がとても強く見えてしまう、ということです。誇張していうと、物質的としか見えない、その精神性の側面がなぜか隠されてしまう、ということです。しかし、同じ作品を韓国、それが制作された風土のなかで見ると、反対にきわめて精神的なものに見える、ということなのです。これは僕一個の印象かもしれないのですが、そして物質性と精神性という用語もかなり単純化して使っているのですが、僕にはどうしてもそのように感じられてならないのです。

 何度も韓国に足を運びながら、僕はこのことを感覚的にくりかえして確かめてきました。韓国の風土のなかでは、韓国の作品からは、物質が物質であるまま、そのままでひとつの精神のかたちであり、ある心の姿である、ということを感ずるのです。逆から言ってもいいーそこに僕が見ているのはひとつの精神の姿、心のかたちであり、しかも、それが物質そのものとしてそこに実現されている、というように。ちょっと補足しますが、僕が言いたいのは、物と精神が一つになって渾然とした世界を成しているという意味では必ずしもありません。それだと、なにかあまりに曖昧になりすぎてしまっています。欧米人だったらきっと東洋の神秘、とでも言いかねません。でも、僕が言っていることはちがいます。物質が物質であることをやめないまま、そのことじたいがひとつの精神を生み出している、ひとつの精神になっている、というようなことです。そして、ある特定の物質との長い密接な対話のなかで、作家はそこに何かを発見していくということであり、その何かが、ひょっとしたら「こころ」と呼ばれるものなのかもしれないということなのであります。

 美術が文学と異なるのは、美術の材料は、文字のように非物質的なものではなく、物質そのものだという点です。ただ、伝統的な意味では(西欧美術の伝統においては、と言ったほうがいいでしょうが)、その物質の側面はほぼ無視され、美術は(も)あくまでも「精神の事柄」とみなされてきたのです。その意味では、20世紀以降の美術の特徴のひとつは、その物質面の浮上ないし強調というところにあります。そこに、作家(人間)の精神とかこころというものがそれまでのように確かなものではなくなってきた、という事態が加わりました。もちろん、この二つは相関関係にあります。だからといって美術がいわば「物質の自動現象」のような事柄になりうるわけではありませんが、作品を作り出す主体の自己ないし精神(こころ)がすべてだという、いってみれば「創造の天動説」は、すでに作家たち自身によって信じられなくなっているのです。

 これが、20世紀に入って以降の、美術創造における「物質性と精神性」の関係のありようです。あとは、洋の東西で、また個々の作家によって、どういう選択をしてきたか、するのか、という問題になりましょう。ちなみに西欧では、物質性を捩じ伏せる方向と、物質の自己実現に任せる方向とを、二つの極にしてきたと言うことができます。

 ふたたび丁昌燮を例にみます。韓屋で育った彼にとって韓紙でできている部屋はほとんど彼の自己そのものにほかなりませんでした。ですから、窓の韓紙は、彼という存在の皮膚のようなものだった筈です。それは、知らず知らずのうちに、彼の自己の一部、いわばその感性の表皮を成していったのです。長じて彼は西洋絵画を学び、どうも肌に合わないという異和感を抱きながらも西洋絵画を制作していく。しかしある時、彼は楮を使い始めます。画面の要素としての韓紙はそれ以前の1970年代から使っているのですが、80年代前半になると楮だけによる作品になる。すなわち、韓紙を用いた絵画から、楮じたいが作品となっているもの、絵画とはちがうもうひとつの作品への変化が、このとき起こりました。 楮を手にしたとき、彼はそこに、母親の胎内のような韓紙の部屋に守られていた子供のころの自分の遠い谺を、聞いた筈です。しかしそこへ帰ることは、もうできません。それはできないのだけれど、彼は、もともと自分などというものがあったのではなくて、たとえば部屋の四周を成していた韓紙が自分を作ったことに気づいたです。すなわち、物質との関係こそが、彼を作ったのだと得心したのです。楮を手にし、それとの密接な関係を深めていくこと。その関係の場所、以外に丁昌燮というひとつの精神(こころ)はありえない、そう言うことができるのではないでしょうか。

 

 自分のなかに自分を探しても、それは見つからないでしょう。自分の外側に探すほかはない。あるいは、なんとかして自分の外側の何かに反映させる以外にはない。丁昌燮は、自分などという不確かなものに頼らずに、物質とのあいだの関係をつくりあげることに賭けたのです。ことは理念とか論理ではなく、感性、感覚の問題です。物質には物理的法則以外の論理はありませんから、作家は感性のレヴェルで物質との関係を築いていくほかにやりようがないのです。そして、しかしそれこそが肝要なことなのです。


 これは哲学ではありませんから、物質と精神の関係、ものとこころの一体化といっても、造形の感覚の領域のことなのです。哲学では、物質と精神、そしてその存在ということが根本問題ですが、僕たちの美術、造形の領域では、前提そのものがまったくちがいます。哲学における「私(主体)」の問題は、美術では、ちょっと極端に言うと、はじめから問題となりえません。というか、それが第一義の問題とはなりえないのです。絵画にしろ彫刻にしろ、それを成しているのはすべて物質です。布、紙、絵の具、木、石、金属、どれも物質以外のものではなく、そこに作家の自己は、もともとはありません。美術とは、ほんらい、創造する者の自己なしに始められうる芸術のことをいうのです。美術が自己表現だというのは、作家の精神(こころ)のほうが先だというのは、近代の考え方、それもそのひとつの考え方にすぎないことを、僕たちはいまいちどちゃんと考え直してみるべきでしょう。むしろ、自己表現ではない、自己表現たりえない、自己表現でなくてもよい、というところにこそ、美術表現というものの特性があるかもしれないのです。

 美術とは、本質的に、物質のいざないによって始まる芸術です。そのいざないを感受し、物質との関わりのなかに踏み込んでいくことが、作家を生み出していくのです。作家もその自己も、はじめから存在しているわけではないというべきです。これは、20世紀とともに始ったことです。そして、しかし現在もなお、僕たちは、実情を謙虚にみてみれば、じつはこういう美術創造をめぐる天動説から地動説への移行のただなかに未だいるのではないでしょうか。
 僕が韓国の美術に感じてきたことのひとつは、そういう、いうならば「精神性としての物質性」というようなことなのです。とくに、一人の日本人評論家である僕からみると、これは日本にはないことかもしれないとも思われます。

 僕は韓国のなかを旅して歩くことが好きです。山へ行ったり、海辺へ行ったり、田舎へ行ったりします。そこにはいろいろな発見があるのです。たとえば山の稜線に眼をやってよく見ると、稜線に並び、稜線を成している樹木が見えます。かなり遠くでも、その樹木の一本一本がみえるのです。日本だと、そういうことはあまりない。韓国は乾燥していて空気が澄明だし、日本は土が肥えていて樹木が密生しているからでしょうが、そういう物理的な理由をあげてみても面白くはありません。

 

僕は思うのですが、遠い山の稜線の樹木の一本一本が見えるとは、眼と物質とのあいだが近いということです。それは、西欧的な意味での距離、ないし視覚的な空間が近いというよりも、どう言えばいいでしょうか、眼(視覚)を成しているものと物質を成しているものとの質が近い、同質である、というようなことを連想させるのです。同質であり、かつ、物質の方が主なのだ、という感じさえうけるのです。僕は唯物論者でもなんでもないのですが、それでも、人間の身体はじつは物質のちょっとした間違い、物質のちょっとした逸脱のようなものかもしれないといった、そんな連想に誘われるのです。


 日本で山の稜線を見ていてこういう連想が起ることは、まずありません。韓国の山の稜線の樹木を遠望しながら、僕はほかにもいろいろなことを考えるのですが、そのうちの一つを、きょうの話のしめくくりになるかどうかはわかりませんが、披露してみました。韓国、朝鮮半島に生まれ育った人々は、そういう山の稜線、その樹木を、ずっと見ながら、生きてきているのだと思います。

 以上で、今日話そうと考えて用意してきた分は終わりですが、きのう見た「アルン展」の事にひとこと、ふたこと触れておこうと思います。 展覧会をひとわたり見て感じたのは、普通の意味での絵画作品ばかりでなく、色々なタイプの作品が、インスタレーションなんかも含めて、出品されているということです。 その意味で、多様だなと思いました。 それと同時に、しかしやはり絵画、それも「かたち」にこだわった絵画といいますか、「かたち」を中心に制作されて成立している絵画が多い、という印象もうけました。 単純に「具象」ということではないとおもいますが、とにかく「かたち」に依る作品が多い訳です。 それと、それらの作品の「質」のことですが、はっきり申し上げて、質の高いものと、質的にそんなに高度でないものと、結構混ざっているという感じがしました。 全般的にそんな印象だったのです。

 それでなのですが、昨日、「アルン展」を見た後、夜にウズベキスタンの朝鮮族の画家シン・スンナムのドキュメンタリー映画「空色の故郷」を見させてもらいました。 それを作った女性監督キム・ソヨンさんが今回、京都にいらっしゃって、映画上映後、舞台でご挨拶なさいました。 そのお話の中に、印象的な言葉が一つありました。 「モリ(頭)でなくてカスム(心)」だ、というものです。 すなわち、彼女がこの朝鮮族の画家についていちばん打たれたのは、彼は「モリではなくてカスムだ」という、そういう生き方をしてきた点なのだ、という話をなさったのです。 だから、彼女もそういうような映画を作りたかったのだ、そういう話をなさったのでした。 彼女のその言葉、発言から連想して、考えたのですが、たとえば絵画で「かたち」を描くとして、そのときにその絵、そこに描かれた「かたち」が見る人を納得させるというのは、結局のところ、やはり「モリでなくてカスムだ」ということがその絵のなかにちゃんとあらわれている場合だろう。 つまり、こういう必然性、こういう心があるから、この「かたち」を描くのだという、そういうことが一番大切なのだということなのです。 それがあればいい。 それがないとだめだ、とおもうのです。 いま21世紀に入りましたが、僕たちは、20世紀を経るあいだに、絵画の様式としておよそ考えられるほとんどのものを体験してきました。 その結果、現在では、良い意味でも悪い意味でも、「なんでもあり」の時代をむかえています。 今は、絵画表現をする場合に、様式としてはどんな様式を用いてもかなわない。 抽象でも具象でも、なんでもいいのです。 ただ、問題は「モリ」でなく「カスム」だ。 どんな方法、どんな様式だろうとかまわない。 たとえば「かたち」を使うなら、それでもいいが、しかしそこに表現者の必然性が「カスム」として、「こころ」としてあれば、それは見る人に訴えかける力を持つのだと、そう思うのです。

 そう言うと、それは今までもあったことで、特別の事ではないと思われるかもしれません。 それは、そうです。 しかし、現在ではそのことは、実は、人が思うほど容易に実現できる事ではない、という気がします。 「カスム」は行き始めることができる。 だがそれは、すでに、そんなに簡単なことではなくなっている。  
 そんな訳で、日本にいる在日韓国・朝鮮の方々も、いまいちど自分たちの中で「かたち」を使うことに関して「カスム」必然性があるかどうかということを、自分自身にたいして問いかける、問いかけ直してみることがいいのではないか。            
 そういう問いかけが、また、ひとつの表現たりうるのではないか。 そんなふうに思いました。

 もう一つ思ったことがあります。 村上春樹という文学者は、いろいろな小説の試みをしています。 小説というのは、物語を軸に展開していく、という芸術です。 そこが絵画と違うところで、小説は、とにかく筋(物語)が一応読む人に理解できるように展開していかないと作品として成り立たない、そういう芸術です。 つまり、単純にいうと、抽象絵画のような小説はありえない、というか、小説は抽象絵画のようではありえない、わけです。 そうであるとして、いかに村上春樹の小説は僕たちがこれまで考えてきた「物語」とはちょっと違う。 ちょっとずれている「物語」です。「寓話」のようになるというかたちでずれていたり、あえて絵画との連想で言えば「アンフォルメル絵画」のような感じになるというかたちでずれていたり、するのです。 とにかく、僕たちが今まで「物語」とみなしてきたものとは違う「物語」のありかたを感じさせてくれる、という気がします。 そこで村上春樹の小説の世界でやっていることは、ジャンルは全く異なるのですが、絵画の世界に置き換えてみたら、いろいろな示俊に富む試みではないか、という感じがするのです。

 昨日「アルン展」で、僕は、あるものを表現するのに、そのものの「かたち」を直接的に描くという例を見ていて、これでは現実感、リアリティーがないのじゃないいのかと感じました。 たとえばある残酷な場面、あるいはそれとは逆の美しい場面、それらの場面をそのまま、ストレートに表現した絵に、なぜか僕たちはもうリアリティーを感じない、そんな状況に僕たちは置かれているのではなうでしょうか。 そういうとき、では、どんな表現が可能なのか。 どんな表現ならリアリティーを表現できるか。 

 自分が心で感じていることを絵に「かたち」でもって表現するとして、ある種の、何らかの「間接化」をほどこす、そうやったら出来るのじゃないだろうか。 あるいは、そうやらないと出来ないのじゃないだろうか。 「間接化」だというところまで表現をもていく、あるいはそこまで表現者が行く、そうでないと、もう表現というのは成り立たないのではないだろうか。 そんな風に感じます。

 村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』という、阪神淡路大震災の余波の中で書かれた連作小説集のなかに「アイロンのある風景」という一扁があります。 そこに、自分が生まれ育った所とは全然違う所、ある海辺へやてきて絵を描いている「三宅さん」という人物が出てきます。 この三宅さんが、どんな絵を描いているのか聞かれて、部屋の中にアイロンが置いてある、それだけの絵なのだが、説明するのがむずかしい、というのです。 なぜ難しいかというと、三宅さんという画家にとって「それが実はアイロンではないからや」、というのです。 すると、その質問をした女性が「つまりそれは何かの身代わりなのね?」。「たぶんな」。「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」。
 そういう場面があります。 「間接化」というのは、たとえばそういうようなことです。 僕たちは、今、幸か不幸か、表現についてそんなふうなことを求めているのではないか、そうおもうのです。

以上です。

 

 

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