田中三蔵  朝日新聞学芸部編集委員

 「自分探しの踏み出し方」というタイトルのもとに、アジアの美術の一端について触れたいと思います。 直接には今回の在日コリアン展と関係ありませんが、同じアジアという事で今年春に取 材をした東南アジアの動きを通し、一個人としてお話したいと思います。

 日本でアジアの近・現代美術が本格的に紹介されるようになったのはここ数年の事だ。
 福岡市美術館が1979年頃から先駆的に国際的なイベントを行い作品を収集してきたのが基礎となっている。
 また、国際交流基金が90年から力を入れ去年までにおよそ20の展覧会、シンポジウムが開かれ94〜95年にはアジア現代美術ブームとまで新聞に紹介された。それに対 してなんと浅薄な言葉づかいかと批判もされたがマスコミとはそうしたことばで表現す るもので、そういう動きが今の形に定着した。 今年春に開館した福岡アジア美術館でのトリエンナーレ、静岡県立美術館で開かれ現在 巡回中の「東アジア/絵画の近代」展はそれらとつながりがあり、今年の大きな動きのひとつだ。
  国際交流基金の紹介の対象が各国を一巡し、すでに個展(「方力鈞」展)も開かれた現在、一種の反省期に入ったのではないか。

 そういう中で東南アジアの5カ国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン)を今年3月取材した。今起こっている事、何を考えているかという事を取材しに行った。
国際交流基金が間に入っていたため手際良く段取りを取れた反面、上澄みだ けの一端しか見られなかったと思う。
 10日間のわずかな間で雰囲気だけを何となくつかめたという感じだ。
 それらを文化面の3回にわたる連載(4月)と学芸面の「探究・記者の目」という欄(5月8日付)に<植民地の歴史とアジア美術>と題して書いたが今日はその補足とおさらいとして話そうと思う。


■旅行の一番始めはインドネシアだった。

 ジャカルタの新しい美術館ナショナルギャラリーはオランダ植民地時代の学校を改造したもので英語で言う<メディア・イン・メディア>というグループ展が開かれていた。 ほとんどがインスタレーションといわれる作品で、全てではないがこれがインドネシアの制作発表の主流らしい。私たちがこれら全部を読み解く事は出来ないがどこかにイン ドネシアの様々な民族問題、政治的困難のようす、一方で一つの方向に行こうとしている危機感を感じ取れるのではないか。
 ジャカルタの美術評論家ジム・スパンカットさんは様々な展覧会を企画、制作している。 もとは作家で、インドネシアのキュレイターは自分しかいないと言っていたがつまりそのくらいの浅い層で国際展などは必ずこの人が作家や作品の選定をしている。 《アジアの作品はコピーのコピーである。シュミラクルだ。しかしバイアスがかかって 少しずつ差異が出てくるからそれで良いのでは》と言っている。一つの面 白い見解だと 思う。 

 ジャカルタ市内にあるフランス文化センターでは女性作家の個展が開かれていたがここ でもやはり平面を使っているけれどそれを単体で見せると言うよりも群として、空間全 体で見せるといったような作品であった。 ジャカルタには日本の国際交流基金の持つギャラリーもあるがやはり各国の拠点、機関が何らかの形で自分達の存在感を示しながら活動をしているようすが伺える。 

作家アラフマヤーニさん。
  元々はインドネシアのイスラム社会出身だが14歳の頃に家 出。その後ノマド(遊牧民)のように生活しオーストラリアにいたりオランダ留学をした りタイに住んだりした。
 彼女の住居兼アトリエは3畳ぐらいの大きさ。決して恵まれているとはいえない環境 のなかで国際的に動き回る作品の想を練って制作している。


■シンガポール

シンガポールの作家タン・ダウさんはイギリスに留学経験を持ちパフォーマンス活動 をしている。
  名前のタンは[唐]ダウは[大霧]と本来なる。 しかし中国名を使いた くないとのこと。人間としていきる事に興味があって「〜系」という事に興味はないと いう。バナナが亜熱帯地域に生息する事など自分の立場に似ているとしてバナナを使っ たパフォーマンスを計画中だった。福岡アジア美術館に来て発表したはずです


マレーシア

 マレーシアのクアラルンプルは予想以上に高い建物が多い所だった。超近代的ともいえるような建物がにょっきり建っている。
  クアラルンプルのナショナルギャラリーは新しく建てた物で非常に現代的で個性の強い 建築だ。完全な形でのオープンのまえに少しずつ作品を並べてプレオープンをしている。 本オープンの前のプレオープンはこの辺りの地域での常である。 近代的な作品と並んでマレーシアのどこかの島の部族の像が並んで展示してあった。 「ナショナルミュージアムがナショナルアイデンティティーを示すために根っこをいろんな所から持ってきている」と聞いた。マレーシアも多民族国家である。
 マレーシアにはマレー系が多く、続いて中国系となる。美術学校もわかれている。ここでは宗教上ヌード禁止などの規制があり我々から見れば不自由な勉強法が取られてい る。そのため抽象的な作品が多くなる。

 中国系作家のタン・チンクァンさんは日本でも幾つかの作品が美術館に所蔵されている。 普段は陳振権という漢字名で生活している.彼はマレーシア社会のイスラム系優遇政策 に対する不満を作品に込めている。自分の作品は中国系の立場、考えを伝えるために制 作されており抗議の作品であると言った。作品を曖昧にぼかしているのはマレーシア社 会から放逐されるぎりぎりの立場のもとに制作しているからだ。


■タイ

 

タイのバンコクの画廊アバウトカフェは元の豆倉庫を改築したものだ。画廊主のクラオマート・イプインソイさんはニューヨークでキュレーションを学んだ人で、ここを拠点としてタイに現代美術を広めたいと言った。

 イプインソイさんの祖母は里見宗治がタイにいたころ、彼に絵を学んだと言う。里見宗 冶は後にパリへいく事になった日本の画家だが日本人画家が果たした別 の一端を見たよ うな気がする。非常にかぎられた数だが日本人画家が東南アジアに与えた影響が少しず つ残っている。
  東南アジアではないが台湾に行った石川欽一郎なども影響を与える事となった数少ない 日本人画家の一人だ。よく例に出される。また前に福岡市美術館で行われた《東南アジ ア近代美術の誕生》に作品が出品された森錦泉はインドネシアに渡りよかれあしかれ影 響を残した作家だ。こういう人達と東南アジアの交流史みたいな物をもうちょっと探っていけば新しい視点が得られるであろうが今は行われていないと思う。調査が遅れてい る状態だ。

チャーチャイ・プイピアさんはタイの売れっ子作家だ。大変広い面 積の家の中に生活を している。初期は拡大された自画像や組み合わせによる自画像など一種不気味な作品を 作っていた。訪れた時はゴッホを引用し再解釈した新しい作品に取り組んでいた。


■フィリピン

 フィリピン文化センターではフィリピンだけではなくバンコクやジャカルタなども含む 女性作家国際展が開かれていた。フェミニズムにのっとった美術がアジア全体に広がり 草の根的にネットワークを作りつつある事が確認できる。
  近代的で商業施設がたくさん入ったビルの一角にある画廊ではたまたま向こうの画家の 個展をやっていて油絵の平面作品が並んでいた。土着的な要素が強く、今のフィリピン 社会の矛盾を茶化す作品があった。

 フィリピンで大変面白く感じた事はフィリピンの持つ長い歴史の中で自分達が受けた 影響と言う物を美術関係者がよく認識しながら活動している事だ。
  1521年にスペインの植民地となり1898年に独立、西洋美術とのつながりは日本 よりはるかに強くいわゆる上手い作家達がいる。その一つの例としてホワン・ルナとい う作家がいた。彼は1860年代にスペインに行き1884年マドリードの展覧会で金 賞をとった。(最高賞が金賞だったかは定かでない)≪アスポリアリューム≫というタイ トルのこの絵はローマの拳闘場で刺し殺された戦士が死体置き場に運ばれていくようす を描いた物で当時のフィリピンの現状を二重写しに描いた作品だと言う。それがマド リードで認められた。この事によってか彼はフィリピンの国民英雄的画家としてみと められている。現在マニラのナショナルギャラリーに作品がある。当時あれほどの大作 を非常に忠実に最後まで描けた人間は日本にいなかったであろう。そうした意味ではフ ィリピンが西洋受容に関してアジアの先進国であったといえる。
 フィリピンはいろんな事をはっきりさせている。例えばフィリピン近代美術の始まりが 1928年、現代美術は1960年というのを共通の認識としているように。またそれ ぞれの基準となる作品がある。


 簡単に言えばこのような旅行であった。
  インスタレーションが主流となっている一方 でどこの都市にも伝統的な作品があった。
  様々なレベルで存在してお土産のような物から西洋流の美術教育を受けた方々の再現的 なしっかりとした作品まである。それらが今並存し、大変な勢いで現代美術と称されている物が伸びている。しかし現代美術と言ってもはっきりとした定義はなく私としては 同時代の美術として見ていきたい。一つ共通しているのは様々な要素が混在しながらも 非西洋の立場が確認される事である。
  この二つが同時に存在する事で一種の分裂症が起こり引き裂かれて制作を続けているような事が見られる。またこれらの地で日本人の持つ影響力や関係が朝鮮や韓国のそれとはまったく異なり、少ない事が窺える。ただどこの地にも様々な影響が在りながら何かを探し、何かを求め苦闘している姿がある。まさにアイデンティティーの問題につなが り「自分が何者であるか」ということを特に作家達は模索しながら制作を続けている。
  今一番簡単なその発露はナショナルアイデンティティーではないか。これにこだわりすぎることは危険に思うが国家というものがそう簡単に失われないという事は周知である。 民族の違いも残るはずだ。美術の祭典の一つであるベネチア・ビエンナーレは百年以上 前に始まるがいまだに国別のパビリオンがあって発表される。近頃は元来その国に生ま れ育ったわけではない作家が存在し発表する例もあるが、しばらくの間はこのアイデンティティーを背負った発表というものが続くであろう。無意識のうちにそこで捉えてしまう目も。困った物だなあと思いながらもやっている。
 もちろん国を越えての基盤を持つ例も今まで何点か見てきた。昨年取材した、ある日突 然世界の桧舞台に出たアフリカのエスター・マシャラングさんの作品はそのうちの一つ に思える。その作品は彼らにとっては集落の伝統を受け継ぐ一般生活の一部に過ぎない装飾品であって国をしょっているなどの感覚は存在しないのだ。美術が国と国との関係 において競われている様を新しい形のオリエンタリズムとして批判する発言が見受けられるが一概にそれが正しいどうかは速断できない。
  世界のかなりの部分、少なくとも東アジア、東南アジアでは確かに西洋のコピーのコピ ーとしての形が行き渡った。受容の歴史は今も続くがすでにある段階がきたのではないだろうか。それは限りなく検証していかなければいけないがむしろ今こそ個としての自 分の中に何があるかを探り、感じたものには忠実に開き直っていくべきであろう。その事は今まで美術と言う物が持ってきた役割が大衆から離れているように思える現在こそ、 逆のモデルとして何か乗り越える可能性を秘めているのではないか。西洋を中心としたモデルからの脱皮や自分探しは大変多様な方法があるわけで、そこからある表現に踏み 出す方法がまたたくさんあるのだ。それを皆がやる事によって引き裂かれた者同志が出 合える場が出来るのではないか。

 今回アルン展を拝見して技術的には玉石混合だったと思う。ただ面 白く思ったのは狭い意味のもあるけれどリアリズムを追求したものが多く、ある意味で新鮮だった事だ。今 では日本の画家達はあまりやらない自民族についての追求や探ろうとする態度がストレ ートに表現されたものが多く面白かった。ただそういう人たちも自分探しと言うものが 永久に続かなければならないもので特に自分の中に刷り込まれてしまった日本というものがある2世、3世は受け継ぎ、潜んだ何かを見出すまでに何重もの屈折があると思う。 その過程は大変苦しい営みとなるであろうが、違う実り、重みを持った実りがあるので はないかと思う。かつて植民地支配をした側の末裔がこういうのもおかしいが、自分探しというものを苦しいながらも続けていって新しいもの、もう一つ何か開けるものを開拓していただきたいと思う。


 

 

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